2010年2月15日 星期一

どんな国旗、国歌でもいい…私の国籍はスケーター

 五輪のフィギュアスケートは、パートナー同士が同じ国籍でないと出場できない。

 ペアでロシア代表の川口悠子(28)は2008年末、バンクーバー五輪に出場するため、新たな国籍を取得した。



 日本国籍を失ったというと周囲は悲壮感を想像するが、「自分が頑張った結果なら、表彰台でどんな国旗が揚がっても、どんな国歌を聞いてもいい」と、あっけらかんとしている。「ロシアのペアスケートにあこがれて、それを究めていく中で、五輪が視野に入ってきた。国籍を変えたのも自然な流れ。私の国籍はスケーター」と話す。

 シングルスケートからペアに転向するきっかけは、1998年の長野五輪。銀メダルとなったロシアペアの演技を見て感動し、「あんな風になりたい」と思った。すぐに2人を指導していたモスクビナ・コーチに手紙を書いて、指導を仰ぐようになった。

 師事する期間は10年を超えた。当時は、前回トリノ大会まで五輪12連覇中のペア王国ロシアを支えている名伯楽などとは夢にも思っていなかった。あこがれのロシアで最高の指導者の下、才能が花開いた。

 川口は小学校時代、習い事を1週間に10ぐらい掛け持ちしていた。バレエ、ピアノ、ジャズダンス、フラメンコ、習字。そしてもちろん「一番嫌いだったスケート」も。

 友達と遊んだ記憶がないのは寂しい思い出だが、子どもの頃から色々なことに触れたことで、文化や習慣の差が大きいロシアでも「どこかでやったことと、自分のものにしやすかった」と振り返る。国境なきスケーターが、15日のフリーでメダルに挑む。(読売新聞/若水浩)

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